扉を開ければそこは夢の国
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2014.07.28  DULL-COLORED POP Vol.14 「音楽劇・河童」 千秋楽を観終えての感想その1 <<22:58


昨日、音楽劇・河童の幕がおりました。千秋楽、見届けてまいりました。
ツイッター上でもいろんな考察合戦が起きていて、
そうだよね、いろいろ考えてみないと、自分の腹に落とさないと、
なんていうかやってらんない舞台だったよね!って思いました。

今回6回観劇したのですが、初回・2回目がひじょうにつらく、
3回目からだんだん河童的存在に馴染みはじめ…
最後の方はロミジュリのシーンなんかでの感想がかんぺきに河童に近づいていて、
いよいよ恐ろしい舞台だなぁと思いました!
2回目ではもんのすごくA氏が嫌いだったんだけど、その嫌悪感も薄れていったしなぁ…。
なんだか自分の人間性を問われているような気にさえなってくるよね!笑

色々と考えてみたいことがあるのですが、結論が出ていないので、
気になったことをまずは自分の頭を整理するために書きながら考えてみようかと。
謎だけ提示して後片付けしない系になる可能性大…。

●A氏は、本当に河童の国に行ったのか?
行ったとして、最終的に本当に人間の国に帰ってこれたのか?
ラストシーン、彼がいるのはいったい何処なのか?


A氏が河童の国に行った、というのは、穴に落ち込む様子で表されます。
当初舞台上においてあった巨大なフラフープが天井たかく吊り上げられ、
舞台後方・上手・下手の3面全面に、水泡と思しきマルがたくさんえがかれた半透明のカーテンが、
するすると天井へ伸びていく。
「穴の底である」「水に囲まれている」という情景でもって、河童の国は描写されます。
でも、その穴の入り口である輪っかも、半透明のカーテンも、ラストシーンでは舞台にそのまま残っている…
あれ、これってつまりは人間の国に帰ってこれてないのか?と悩みました。

ただラストシーンで、A氏のまわりに集まっていた河童たちが散っていくとき、
彼らはみんなちょっとがに股の河童歩きじゃなくて、人間の歩き方ですっと去っていくんですよね。
となると、やっぱりここは、人間の国なのか…。

台本によると、ト書きでは
「見ればそこは人間の国、のようにも見える。しかし河童的奇っ怪さも混在している。」
と書いてあるので、きっと谷さんはこの点について明確な答えを表に見せてないのかなと思います。

この二つの世界のおそらく意図的な混在から読み取れるのは、
A氏がいずれの世界からも疎外された存在である、という事実なのかなと考えました。
ラストの場面が、河童の国であるにせよ、人間の国であるにせよ、
彼はその世界において精神病院に入れられてしまう、
狂人のレッテルを貼られた存在であることに、変わりはないのです。

そこからさらに、こんなことを考えました。

・冒頭では、谷さんが医師として「その話はやめときなさい」とA氏に言う。
あのシーンはやはり人間の国の病室から始まっていると考えるのが妥当か

・A氏は河童の国について、友人に似た河童を追いかけ穴に落ち込んいきさつから始まり、
さまざまに経験したことを回想し、語る。

・しかしその回想の中で、ピップの死の記憶に直面し、精神がさらに病む

・妄想の中の”河童の国”から戻ってこられなくなる(=人間の国に居ても河童が見える)

前説には
”彼は誰にでも丁寧に、愛想よく、しかしどこか憂鬱に笑いながら、全く同じ話を繰り返してくれるでしょう”
とあります。
A氏は河童の国の思い出を語るたびに、
新たに絶望して出口のない後悔に取りつかれているのではないかな…なんて思ってみたりして。。。

●河童の世界における肉まんとはいったいどういう存在なのか?

これはお友達が言っていた内容がヒントになっています!
(読んでるかわかんないけど、そうだよ君だよ!いつもありがとう!)

私が納得できなかったポイントとして、
「河童はある種利己的であり、努力しないで何かを手に入れられることを嫌うとは思えない」
「となると、なぜ肉まんを受け取ることをあんなに拒絶するのか?」
というのがありました。

確実に言えるのは、「肉まんを他人にあげる」=狂人のサインだということ。
ピップはそれで精神病患者に認定されてしまう。
そしてラストシーン付近、クァックのお産を待っているバッグは
「これでも食べて、待ってなさい」と言って肉まんをパックに手渡す。
さらにほかの河童が「バックさーん?」と呼びに来たとき、
パックに対して「隠しとけ」って言います。
これ絶対あかんやつやん!って思ってたら、やっぱりパックは「イラネ、こんなもん!」って投げ捨てちゃうし、
最終的にバッグさんは看護師らしき河童につかまってどこかへ連れて行かれてしまう…。

え、じゃあこの肉まんってなんなの?っていうのが疑問として残るんですが、
観劇後友人と話していたら、彼女から「純粋に、河童は肉まんが嫌いなんじゃないか?」という話が出て。
ピップは河童の国の精神病患者だから、河童も肉まんを大好きだという彼の説明も信用できないのでは?と。
シンプルだけど、なるほど!って思いました。
でも河童しかいない世界でコンビニでわざわざ嫌われる肉まん売ってる説明がつかないな~
嫌いなら作らねーよな、とも思い。
もしかすると肉まんはもはや河童の国では食べ物じゃないのかも…?
というかですね、人間の常識において一番忌避される概念である「死」が全く重要視されない世界なので、
河童にとって一番嫌われるものがなんなのか想像がつかず。。。
うーーん、「河童の世界の秩序を乱すもの=人間みたいな河童」が一番嫌われるってことなのかな?と思ってみたり。
なんだろう、もうすごくシンプルに、
肉まんが好き=人間みたいなやつだ、ってこをと象徴的に表してる、
ってことでいいかな!!!(なぜか急に雑になる)
それとも「肉まんを」+「誰かにあげたくなる」2点がそろって初めてくるってるサインになるのかなー。。。
ここはほんとにわからんです!!

(更新直後に追記)
みつやさんがーーーピップくんがーーーー千秋楽をおえてのブログでーーー
「舞台の中で出てくる肉まんは、温かさ、柔らかさ、優しさの形だと思っています。
俺も応援してくれる方に肉まんを沢山受け取って欲しいし、応援してくれる方からの肉まんをこれからも大切に受け取っていきたい!」

って言ってて私は泣きましたよね…うぉぉぉ(´;д;`)!!!!!

●二幕後半。「河童のお産」シーンの描写の不自然さは何を表している?

これもずーーっと気になっていて!気になるポイントをまず箇条書きにすると、
・なぜここから急に台詞が七五調なのか?
・モブ河童たちの動きが何をやっているのかさっぱり分からない。
・看護師はおよそ河童らしからぬ台詞を述べてはいないか?
(特に”人生は狂人が主催するオリンピックに似ている”からの部分)
の3点があります。

まず1点目、台詞が七五調になっている部分。
全部ではないですが、A氏も看護師も、語る台詞が基本七五調です。
直前のシーンまでは極めてふつうの喋り方だったので、ものすごい違和感がありました。
…違和感があるっていう前提で話進めるんですけど、おかしく思うの私だけかな?汗

ちょっとこのお産シーンの直前の描写を振りかえります。

A氏はピップの幽霊から、
「生まれ変わるならどっちがいい?河童的存在と、人間と」という問いに対して
「友達のいる国に生まれたい」という答えを受け取ります。
ピップの幽霊が去っていくのに合わせ、舞台は次第に暗転。
A氏の顔だけがぼんやり弱いピンスポに照らされており、そこからだんだんと舞台が明るくなっていきます。

とある回で、ちょうどこのシーンのA氏の正面に近い位置にあたる最前列のことがあり。
ここでのA氏をひたすらガン見していたら、
彼はピップの答えを聞いた後、舞台上に登場してから一番やわらかい表情を見せたのです。
わたしがみたときは、うっすら微笑んでいたんです。
千秋楽は泣いていました。
そしてこの”やわらかな表情”の直後、A氏の目は焦点を失い、
口元は半開きになり声に出さずに何かをずっとぶつぶつつぶやいているような動きをします。
先ほどのきわめて人間らしい顔つきから一変し、ここ一番の「狂っている」感じのいよいよやばい表情になるのです。

そしてそのあと、前述のとおり舞台は日が差すように明るくなり始め、看護師の
「人間さん、人間さん。今日も良い水質で!
お薬、お薬、ぱーくぱく。点滴、点滴、ぽーとぽと。
ほら、段々元気になってきた。」

というセリフから、七五調の世界が始まります。

この一連の流れを見て私は、
ピップの幽霊が死してなお友人の存在に焦がれていることを知って、
本格的にA氏の精神が崩壊してしまったんじゃないかな…と思いました。
そのバランスがぐちゃぐちゃに崩れた様子が、七五調のぎこちない台詞に表現されているのではないかなと。

2点目にあげた「動きの不自然さ」も同様のことを暗示しているのかなと思いました。
やたらと統率がとれている、並んでお辞儀をしてみたり、シャドーボクシングをしてみたりする、
何をやっているのかよく分からない河童たちの動き。
本格的に河童の世界でもA氏が狂ってしまったがために、
世界が歪んでみえる=台詞まわしや動きのぎこちなさは、
A氏の精神を通して見た世界の表現なのかな、と思いました。

最後に看護師の台詞についてなんですが、これはまだよく分からないです…。
ただ、あれはある種「神」の視点なのかなって思いました。
あそこは看護師としてではなく、作品のやや外側からのメッセージを、
河童の口を借りて表現している部分なのかなと。
「人生は、狂人の主催するオリンピックに似ている。我々は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。」
このあたりの一連の文章は、芥川の「侏儒の言葉」からの引用なんですよね。
(なんっか聞いたことあるなぁと思って調べたら、わりと有名なやつだった。
泳いだことない人に、泳げ!って言うのは、理不尽でしょう。のあたりから、
原文が現代語に整えられている感じですね)
この河童っていう作品の神様はだれかっていうと芥川先生だと思うので、
そういう意味でも「神」の視点かなあと思いました。
ラスト3公演くらい、看護師さんのこの部分のセリフの言い方ががらっと変わり、
ぜんぜん河童っぽくなくて、人間みたいに喋っていたので、よりその思いが強くなりました。


ほかにもまだ解きたい謎もありますし、
なによりA氏とピップに焦点をあててじっくり語りたいし、
そういう難しい話ほっておいてただただ役者さんたちの好きなところ楽しかったシーンを挙げたいし、、、
とりあえずきりがないのでその1はここでおしまいにします!
次回に続く!つづきたい!がんばろっ!
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